ここ数年、私たちは「異常気象」という言葉に慣れすぎてしまいました。
豪雨、猛暑、干ばつ、山火事──それらはもはやニュースではなく、日常の一部です。
これは、偶発的な自然現象ではなく、周知の通り地球温暖化によるものと考えられます。
そして、科学的な理解において、地球温暖化は人類の経済活動が生み出したものであることは、すでに世界的なコンセンサスとなっています。
こうした科学的な状況認識が共有される一方で、現実の政治判断は必ずしもそれと一致していません。
その象徴的な例として、トランプ大統領は国連気候変動枠組条約の下で合意されたパリ協定からの脱退する意向を表明しました。
人類が毎年排出する温暖化ガスは約 53 Gt(ギガトン)CO₂e/年(2023年・EDGARベースの最新推計)に達しています。
これは、生態系や氷床、海洋循環のように、回復に数百年単位を要するシステムに、継続的なダメージを与え続ける規模です。
この温暖化ガスの排出量の割合は、中国約30%、米国約14%、インド約8%(出典:同上)です。
その中にあって、日本の排出量は約2%で、しかもすでに削減可能な量は限界近くになっています。
地球規模の影響に対して、日本としての削減という点では影響力は限定的でも、「技術と制度の実証国家」として果たせる役割は残されているはずです。
地球規模での対策効果においては、排出量が多い中国と米国が建設的な対応をすることで世界的な効果が期待できるのですが、その両国が積極的な対応をしようとしていないことがこの問題のとても残念な部分です。
排出量大国は温暖化ガスの削減に意欲的・協力的ではないという事実と、その他の多数の国々においては取り組みの温度差も大きく、現状の国際的な取り組みが、地球規模での排出量削減という点において、十分な効果を上げているとは言い難いのが実情です。
こうした状況下で、私たちはこの問題をどう理解すべきなのでしょうか。
そして、感情論や表層的な善悪論ではなく、現実的に何を考えることができるのでしょうか。
地球温暖化は「議論の段階」をすでに終えている
別記事でもご紹介の通り、実はこの問題に関する責任論は、世界的にみても、科学的なコンセンサスとしても、「人類の経済活動によるもの」として決着しています。
「温暖化ガスは地球温暖化問題には無関係だ」という科学的理解と整合しない議論は、知識不足か、何らかの利害に基づくものと考えざるを得ません。
現在は、CO₂排出量削減の協議においてすら実効性も有効性も見いだせず、そのうえ地球環境自体はすでに手遅れな状況に進んでいるのかもしれず、もはや発生したCO₂を削減する技術解決に向かうしかない状況にあるのかもしれません。
それとて有効性があるのか、間に合うのかが懸念されます。
毎年53Gt排出される温暖化ガスという現実
温暖化ガスの排出量は、2023年・EDGARベースの最新推計値で以下の通りです。
結論:排出量そのものが、すでに議論の余地を超えているのです
上位2か国は影響が大きいですが、現実的には積極的な対応をしていると理解できる状況にはありませんね。
- 1 中国 :約 15,987 MtCO₂e(約 15.99 Gt) 約30%
- 2 米国: 約 5,961 MtCO₂e(約 5.96 Gt) 約14%
- 3 インド: 約 4,134 MtCO₂e(約 4.13 Gt) 約8%
- 4 ロシア :約 2,672 MtCO₂e(約 2.67 Gt) 約5%
- 5 ブラジル :約 1,300 MtCO₂e(約 1.30 Gt) 約2%
- 6 インドネシア :約 1,200 MtCO₂e(約 1.20 Gt) 約2%
- 7 日本 :約 1,041 MtCO₂e(約 1.04 Gt) 約2%
- 8 イラン: 約 997 MtCO₂e(約 1.0 Gt)
- 9 サウジアラビア :約 805 MtCO₂e(約 0.81 Gt)
- 10 カナダ: 約 747 MtCO₂e(約 0.75 Gt)
この圧倒的な排出量は、すでに地球環境にとっては取り返しがつかない、不可逆領域に入っている可能性が指摘されています。
そして、排出削減に向けて努力している国ほど、排出量が少ないという皮肉な事実があります。
「戦争より暴力的」になり得る地球温暖化問題のなぜ
私たちが近年経験している、記録的な異常気象はまだ始まったばかりです。
しかしすでに世界中で、時に壊滅的なダメージを与え続けています。これは地球が悪いのではなく、そういう環境にしまった人類の経済活動による暴力と言えるのかもしれません。
この影響は全世界的で、結果的に、食料・水・移住・紛争誘発の連鎖にすらつながり、世代を超えて、しかもより悪化していく可能性が高いものです。
「戦争」も私たち人類にはまだまだ解決が難しい課題ですが、原因らしきものへのアプローチの可能性があるのがまだ救いです。
しかし、こと地球環境問題においては、母なる地球は、以前ような「やや穏やかな振る舞いのモード」から、すでに人智で対応できる域を超えて、「無慈悲な大災害を引き起こすモード」に移行してしまっている可能性が懸念されます。
日本の努力は本当に無意味なのか
この問題に対して、日本は馬鹿正直といえるほどに真面目に取り組んできました。
そして、現状では、企業努力を含めてほぼ限界に近いところまで到達していると言えます。
何より、冒頭に触れた通り、2%弱という量は決して少なくありませんが、地球規模の影響に対する効果という点では、今後の努力に見合う貢献はできないところにまできているのです。
したがって、次のようなバランスも重要となってきます。
- 生活コストを過剰に上げない
- 産業競争力を毀損しない
しかし、削減という点では影響力は限定的でも、「技術と制度の実証国家」として果たせる役割は残されています。
つまり、この問題に関して過剰に削減に向けた努力にリソースを割くのではなく、温暖化ガスの回収技術など、世界的な影響軽減に寄与できる技術開発にシフトし、世界のトップランナーとして貢献すべきポジションにあるのではないでしょうか。
- CCUS(CO₂回収・貯留・利用)
- DAC(大気中から直接CO₂回収)
- メタン分解・酸化技術
- 高効率原子力(SMR)
- 核融合
国際協調が機能しない構造的理由
現在では、将来起こりうる可能性の話という局面ではなく、既に顕在化しているリアルな変化を実感できる状況ですが、それでもなお人類は、自国の都合で目先の利益を目指します。
つまり、多くの国は、この期に及んでも地球環境より自国の利益を優先するのです。それは、偶発的な自然災害と地球温暖化の因果関係を直観的に理解できないことが最も大きな原因かもしれません。しかし、知的理解があれば可能なアプローチのはずです。一部の賢明な国家の取り組みは称賛に値しますが、逆に量的な影響力が小さいという皮肉な状況です。
人類の集団としての知がもう少し育まれない限り、環境問題を解決することは極めて困難に思えてなりません。
何より、残念なことに、今これを食い止めることに対して、実効性を持つ主体が存在していません。世界的な連絡会は重要な機能を果たしていますが、パリ協定で「努力目標」というおまじないを設定しても、量的な改善の難しさという意味では実効性は極めて限定的だというのがコンセンサスです。この瞬間も地球温暖化は悪化の一途をたどるばかりなのに。
削減という理想と、「技術」という現実解
世界的な努力目標を掲げ、そこに向けて努力することは、人類としての必要最小限の責任とは言えます。しかし、現実的には急速に進む温暖化抑制への実効性という面では、残念ながら無力に近いのが実情です。
なぜなら、排出量上位国の削減に向けた協力姿勢が非常に希薄で、さらに途上国の経済合理性に対する調整も困難な現状がある上に、既に地球環境は元に戻れない状況になりつつあると言われています。
消去法的には、人類に残された有力な選択肢は、温暖化ガス削減に向けた技術開発なのかもしれません。
私たちはこの問題をどう理解すべきか
人類の「今」を生きるものが、将来世代に対して責任を負う意志があるかどうかの「自覚」の問題になっていると思いませんか。
まとめ
残念ながら、地球温暖化問題は、すでに私たち個人の取り組みだけで何とかなる段階を超えつつあります。
国際的な枠組みによる取り組みや、科学的な観測と将来予測に基づく警鐘、被害を抑えるための努力が無意味だとは思いません。
しかし、現時点の取り組みの延長線上では、変化の速度をわずかに緩めることしかできない可能性が高いのも事実でしょう。
排出量の構造を見る限り、日本という国が排出量をさらに削減しても、地球規模の影響としては誤差の範囲にとどまります。
そう考えると、すでに起こしてしまった問題を根本的に解決するためには、温暖化ガスそのものを制御・回収する技術や、エネルギー利用の構造を転換する技術開発に重心を移さざるを得ない段階に入っているのかもしれません。
いま私たちが直面している状況においては、表面的な議論に翻弄されている余裕はなく、現状を事実として知り、残された現実的な可能性を考える知性が求められているのだと思います。

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