高野山の麓にひっそりと佇む慈尊院は、「女人高野」として知られる特別な場所。
高野山が女人禁制だった時代、女性たちが遥かに聖地を偲んだこの場所と、その鎮守である丹生官省符神社を訪ね、歴史と信仰の足跡を辿ってきました。
その後は、休暇村加太で美味しいクエ鍋に舌鼓。和歌山の歴史と食を満喫する旅をご紹介します。
慈尊院について
慈尊院は、弘仁7年(816年)に弘法大師空海によって高野山の表玄関として開創された、歴史ある寺院です。
高野山が女人禁制であった時代、女性が高野山を遥拝する唯一の場所であったことから「女人高野」として知られ、現在も多くの参拝者、特に女性からの信仰を集めています。
世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一つでもあります。
当時、高野山は女人禁制であったため、女性は山内に入ることは許されませんでした。そこで、空海は母である真尼(まに)のために、高野山の麓に慈尊院を建立し、母が晩年を過ごせるようにしました。これが「女人高野」と呼ばれる所以です。
因みに、「真尼」は空海の母の法名と言われており、仏教的な側面の名です。別の呼び方である「玉依(たまより)御前」は、神道的な側面からつけられた名で、当時の神仏習合の名残を示しています。
慈尊院の本尊は弥勒菩薩です。空海の母、真尼は入寂の際に弥勒菩薩に化身したという信仰があり、慈尊院は女性の参詣者にとって特別な場所となりました。
境内にあるみろく石は、その弥勒菩薩、ひいては玉依御前と縁を結ぶための石とされています。みろく石を左手で撫でることで、心願成就、良縁祈願、病気平癒のご利益があるとされ、特に安産、子授け、育児などの祈願で多くの女性が訪れます。
慈尊院には、❝弘法大師案内犬の再来❞として知られる犬、ゴンの物語があります。
弘法大師が高野山を開創した約1200年前、高野山への道案内犬がいたという伝説がありますが、ゴンは昭和60年頃に慈尊院に住み着いた野良犬で、誰に教わったわけでもなく、自然と慈尊院から高野山までの町石道を参拝者の道案内をするようになったそうです。
その姿は多くの人に感動を与えました。現在、境内にはゴンの碑が建てられています。
明治時代になり、女人禁制が解かれるまで、慈尊院は高野山への女性の参詣の拠点となっていました。多くの女性が慈尊院から高野山を遥拝し、信仰を深めていました。
現在、本尊として安置されている木造弥勒仏坐像は国宝に指定されています。弥勒菩薩が安置されている本堂(弥勒堂)は鎌倉時代後期の宝形造で、国の重要文化財に指定され、世界遺産としても登録されています。
また、境内にある多宝塔は、近年の大修理を経て、平成20年に現在の美しい姿になっています。この多宝塔は、『高野山文書』に納められている棟札の写しと符合することから、寛永元年(1624年)に再建されたものとされています。
丹生官省符神社について
慈尊院から続く石段を上ると、丹生官省符神社があります。
丹生官省符神社は、世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部であり、国の重要文化財に指定されている本殿を持つなど、歴史的・文化的に重要な場所です。
丹生官省符神社は、弘仁7年(816年)に弘法大師空海によって創建されたと伝えられています。祭神は丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)と高野御子大神(たかのみこのおおかみ)で、いずれも高野山と深い関わりのある神様です。丹生都比売大神は、高野山を開く際に空海に地を貸したとされる女神であり、高野御子大神はその御子神です。
丹生官省符神社は、神仏習合の思想に基づいて、慈尊院と一体となって信仰を集めてきました。中世には丹生七社明神社とも呼ばれ、多くの社殿群を有していました。
現在の社殿は、室町時代後期に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。三棟の社殿が横一列に並ぶ配置で、それぞれ一間社春日造、桧皮葺の同じ形式で建てられています。極彩色で飾られた華麗な社殿は、当時の建築技術の高さを今に伝えています。
丹生官省符神社は、その名の通り、官省符と深い関わりを持っています。この神社は、高野山金剛峯寺の荘園であった「官省符荘(かんしょうふのしょう)」の鎮守として創建されました。
つまり、この神社の名前には、この地が官省符によって管理されていた荘園であったという歴史が刻まれているのです。丹生官省符神社は、官省符荘の人々にとって、信仰の中心地であるとともに、荘園の管理や運営においても重要な役割を果たしていたと考えられます。
丹生官省符神社の境内は、高野山参詣道の一部である「町石道」の一部として国の史跡に指定されています。町石道は、高野山への道しるべとして建てられた石柱で、丹生官省符神社の境内には二本目の町石が所在しています。
また、丹生官省符神社は、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部として登録されています。これは、神社が歴史的に重要な場所であることを示しています。
女性の参詣の中心地である慈尊院と、その鎮守である丹生官省符神社は、弘仁7年(816年)の創建以来、密接な関係を保ってきました。両者は、神仏習合の歴史を今に伝える貴重な存在であり、高野山の歴史を語る上で欠かせない場所となっています。
休暇村加太でくつろぎのひと時
慈尊院を丹生官省符神社を後に、今日の宿「休暇村加太」へのチェックインは予定より少し早めの2:30でした。ダメもとで聞いてみると、早目のお部屋の案内ができるとのことでした(感謝)。
宿からの景色は、この季節にしては珍しい強烈な黄砂とPM2.5の影響で、この日だけの少し幻想的な海面の光の反射となっていました。
今宵の夕食は、少し奮発したクエのコース料理です。
刺し身も、ヒレ酒も、そして、鍋、から揚げ、締めの雑炊と、クエを満喫し、満足の一日となりました。
まとめ
今回の旅では、「女人高野」として知られる慈尊院と、その鎮守である丹生官省符神社を訪れ、高野山の歴史と神仏習合の文化に深く触れることができました。
空海の母への想いが込められた慈尊院の静謐な空気、そして人々の信仰を集めてきた丹生官省符神社の荘厳な佇まいは、心に残るものでした。
その後、休暇村加太でいただいたクエ鍋は、旅の疲れを癒してくれる格別な味わいでした。地元の食材を使った料理は、旅の醍醐味の一つです。
歴史と文化、そして食を満喫する和歌山の旅は、心身のリフレッシュに最適です。皆様もぜひ、この地を訪れてみてはいかがでしょうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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