日本高血圧学会は、「高血圧管理・治療ガイドライン」を6年ぶりに改訂し、2025年版を公表しました。
今回の改訂で最も大きな変更点は、
2019年版では75歳以上の高齢者に認められていた「140/90mmHg未満」という緩和目標が撤廃され、全年齢で一律に「130/80mmHg未満」を目指す、とされた点です。
一方で、厚生労働省は2024年4月、「特定健康診査・保健指導の実施に関する基準」の省令改正案を公表しています。
- 改定前:140mmHg以上 / 90mmHg以上
- 改定後:160mmHg以上 / 100mmHg以上
これは、特定健診における医療機関受診勧奨の血圧基準を、むしろ緩和する内容です。
国の制度設計が慎重さを強める一方で、学会ガイドラインは管理目標を一段と厳格化する――
この乖離は「どのエビデンスを、どこまで一般化してよいのか」という根本問題を浮き彫りにしています。
本稿では、日本高血圧学会が2025年版ガイドラインの根拠として引用している主要論文を精査し、
それらの研究が本来何を示し、何を示していないのかを整理した上で、
2025年ガイドラインで「国民全体に一律の管理目標を主張していること」の妥当性を検討します。
本稿の検討を通じて見えてくるのは、2025年ガイドラインよりも、むしろ厚生労働省が示した2024年版省令改正案のほうが、現時点の科学的知見と整合的である可能性が高いという点です。
序論:日本高血圧学会が掲げる「改定理由」の論理的飛躍、軽率さ
日本高血圧学会は、今回の改訂理由を次のように説明しています。
「国民の血圧管理状況は、主要経済国の中で最低レベルである」
確かに、OECD等の国際統計でも、各国の血圧コントロール率が欧米で比較的高く、日本が相対的に低いという評価は複数報告で示されています。
しかし、この主張には重大な根拠の欠落と論点のすり替えの問題があります。
- 比較対象国・使用データ・測定条件が明示されていない
- 基準値や測定法が統一されているか不明
- 何より、「管理率が低い=健康被害が大きい」という因果が検証されていない
実際、日本の心血管イベント発生率は、血圧管理率が高いとされる米国よりも一貫して低いことが知られています。
ERA JUMP研究などによれば、
1980年代から2000年代半ばにかけて、日本の冠動脈疾患死亡率は米国の約1/3〜1/5、
心筋梗塞発生率に至っては約1/7に過ぎません。
つまり、血圧管理率が高い国ほど、心血管イベントが少ないという因果の事実はなく、
基準改訂理由としての根拠にはなりえないのです。
米国の高い管理率は、肥満や糖尿病といった背景リスクに対し、政策的に早期・薬物介入を行ってきた結果とも解釈できます。
重要なのは、「管理率を上げること」そのものではなく、
それが本当に望ましい最終的な健康実利としての結果(健康アウトカム)につながっているのかという検証ではないでしょうか。
本論:2025年ガイドラインの根拠論文解釈に共通する構造的問題
日本高血圧学会は、高血圧管理・治療ガイドライン2025の改訂にあたり、
複数の国際的な臨床研究や大規模解析、系統的レビューを背景エビデンスとして参照しています。
多く引用されている重要論文として、
- SPRINT Trial(2015)
高心血管リスク高血圧者における厳格降圧の効果を比較したRCT - STEP Trial(2021–2023)
高齢高血圧者における収縮期血圧目標値の差によるイベント発生率の検証 - Lancet IPD Meta-analysis(2021)
51試験・約35万人の個人データを統合した大規模解析 - 各種システマティックレビュー(例:EHJ 2023 等)
降圧治療と心血管アウトカムの関連をまとめた総合評価
などが、ガイドライン本文の解説や参考文献で示されています。
その他にも多数の関連研究が引用されており、
ガイドラインの推奨形成は、これらの研究知見を総合した議論の積み上げとして示されています。
これらの研究は、それぞれ価値ある知見を提供しています。
しかし同時に、どれ一つとして「国民全体の血圧管理目標を一律に引き下げる」ことを直接支持する設計にはなっていません。
以下、論文ごとにその射程と限界を整理します。
❶ SPRINT Trial(2015)
SPRINT Trialは、「高リスク患者の一部において、厳格な降圧治療が標準治療より有利となり得る」ことを示した研究です。
研究の要点
- 対象:心血管リスクが高い非糖尿病患者
- 比較:
- 厳格群(SBP <120mmHg)
- 標準群(SBP <140mmHg)
- 結果:主要心血管イベントは厳格群で減少
見落とされがちな前提条件
- 測定法は AOBP(自動血圧測定)
→ 通常診察より10–15mmHg低く出る - 糖尿病患者・脳卒中既往者は除外
- 有害事象(低血圧、失神、急性腎障害)は有意に増加
- NNT は約60(60人治療して1人がイベントを免れる)
本質的な限界
SPRINTは、
「治療戦略の一選択肢」を示した研究であり、
国民全体の管理目標の裏付け根拠となる研究ではありません。

❷ STEP Trial(2021–2023)
STEP Trialは、「すでに治療を受けている高齢高血圧患者において、目標血圧をさらに下げた場合の差を検証した研究」です。
研究概要
- 対象:60~80歳の高血圧患者
- 比較:
- 厳格群(SBP 110–129mmHg)
- 標準群(SBP 130–149mmHg)
- 結果:
- イベント発生率
- 標準群:4.6%
- 厳格群:3.5%
- 絶対差:1.1%
- イベント発生率
問題点
- 効果は統計学的に有意だが、臨床的には極めて小さい
(NNT ≈ 90:90人治療して1人がイベントを免れるだけの効果) - 相対リスク低下(約24%)のみが強調されがち :24%=(4.6-3.5)/4.6×100
- 低血圧、電解質異常、腎機能悪化は厳格群で増加
- QOLや治療負担を含めた統合評価がなされていない
STEP Trialは、
特定条件下の高齢高血圧患者における「目標差」の検証に過ぎず、
初期介入や国民全体への一般化を支持するものではありません。
❸ Lancet IPD Meta-analysis(2021)
本研究は、51のランダム化比較試験、約35万人分の個人データを統合した大規模解析であり、
年齢は21歳から100歳超、ベースライン血圧も正常域から重度高血圧まで極めて幅広い集団を含んでいます。
その結果、「血圧を下げれば平均的にはイベントが減る」という一般則は強化されましたが、
個々人にとっての最適目標値の裏付け根拠となりうる設計ではありません。
研究が示したこと
- 血圧を下げることは、平均的には心血管イベントを減らす
- 年齢やベースライン血圧に関わらず、相対リスク低下は概ね一貫
しかし、示していないこと
- 個人ごとの最適血圧目標
- 拡張期血圧(下)の下げすぎによる心筋灌流の低下による不利益とのトレードオフ
- 高齢者・フレイル・低リスク層での妥当性
- QOLや機能低下の評価
この研究は、
「血圧低下は一般に有益」という疫学的命題を精緻化したものであり、
管理目標値の裏付け根拠となる研究ではありません。
科学的なアプローチとしての「管理目標値を決定する根拠となる研究」の具体的な条件例、は後述しておきます。

(参考:Lancet IPD Meta-analysis 2021 の被験者概要)
・年齢:21~105歳(中央値65歳、IQR 59–75)
・対象:約358,000人(51試験の個人データ統合)
・ベースライン血圧:<120~≥170 mmHgまで幅広く分布
・心血管ハイリスク層を含む(心不全既往者は除外)
・男女比の詳細な明示はなし(一般に女性比率は約40%前後)
❹ システマティックレビュー(EHJ 2023など)
これらのレビューは、既存研究を体系的に整理したものであり、
新たな至適血圧目標を策定するための知見をもたらす研究ではありません。
多くの論文では、次のような点が指摘されています。
- 厳格な降圧が、全体として寿命を延ばすとまでは言い切れない
(全死亡では有意差が認められていない) - 下げ過ぎによる不利益が生じる可能性があり、とくに一部の高齢者ではリスクとなり得る
(いわゆる「Jカーブ現象」の可能性) - どの水準が最適かについては、現時点では結論に至る知見が得られていない
(至適目標値は「不明」)
これらはすなわち、この分野の議論がなお継続中であることを意味します。
それを「すでに結論が出た」ことかのように引用することは、慎重さを欠くと言わざるをえません。
国民全体の血圧管理目標を引き下げるための本来的な研究設計
国民全体の血圧管理目標を論じるには、少なくとも以下のような層別を前提とした被験者設計と、多面的な評価が必要です。
- 年齢:40–59 / 60–74 / 75–84 / 85+
- リスク層:低・中・高(ASCVD risk 等)
- 併存症:糖尿病あり/なし、CKDあり/なし
- フレイル評価を含む
- ベースライン血圧:130台 / 140台 / 150以上 (mmHg)
日本高血圧学会のガイドラインの根拠説明は国民に向いているのか?
日本高血圧学会が「ガイドラインを作成する際にどのようにエビデンスを評価し、推奨を構成しているか」を示す公的な文書や説明は、実際のガイドライン本文やその解説論文において明示されています。
しかし、統計学的な手続きが前面に出される一方で、その結果がどの条件下で成立し、どの層では成り立たない可能性があるのかという、科学的に本質的な問いについては、ほとんど説明されていません。
確かに、日本高血圧学会のガイドラインは、法的拘束力を持つものではなく、専門家集団による「推奨」「見解」「標準案」にとどまる立場にあります。しかし実際の医療制度運用においては、行政施策や現場判断に強い影響を及ぼしており、その社会的影響力は決して小さくありません。
こうした説明様式が一般国民に理解されにくいことは十分に予見可能であるにもかかわらず、その点への配慮は乏しく、少なくとも説明責任を十分に果たしているとは言い難い状況です。
本稿は、この改定において引用されている論文を、一次資料に立ち返って理解するための視点を提示するものです。
厚生労働省の2024年省令改正案に残された説明責任の空白
厚生労働省の2024年の省令改正案は、一定の判断基準として有益だと感じる一方で、なぜか、彼らは改正案やそれに付随する手引きにおいて、学会の診療ガイドラインに対する科学的説明や根拠づけを直接論じている文言は明示されていません。
こうした省令改正案は専門部会で議論されるのですが、専門部会で議論された「科学的な解釈やエビデンスの比較、診断基準値の妥当性に関する詳細な公開議事録」は一般には公表されていません。
少なくとも、国民に対する科学的妥当性の説明は、十分に行われているとは言えません。
日本高血圧学会は、全年齢で一律に「130/80mmHg未満」を目指す、と貧弱な科学的な根拠で強弁し、
厚生労働省は、特定健診における医療機関受診勧奨の血圧基準を、160mmHg以上 / 100mmHg以上と示しながら、その根拠も示さず、両者の差異の説明すらしません。
このような説明様式は、結果として一般国民の理解を遠ざけています。
それが意図的であるか否かに関わらず、説明責任という観点では課題を残していると言わざるを得ません。
私たち国民も、一人一人がもう少し自分事として関心を持ち、関わる姿勢を持たなければならないのではないでしょうか。
まとめ:血圧管理は「数値」ではなく「人」を見るべき問題
人の血圧は、生物学的な背景により広く分布しています。
腎臓のネフロン数、Na排泄能力、動脈硬化の進行、加齢変化――
これらが複雑に絡み合い、血圧は個人ごとに異なります。
高齢期の血圧上昇は、多くの場合、
生体の余力低下に対する適応現象でもあります。
にもかかわらず、
客観的な根拠が不十分なまま一律の管理目標を課すことは、
低血圧、電解質異常、腎機能悪化といった害を軽視することにつながります。
高血圧が体に悪影響を及ぼすことは事実です。
しかし重要なのは「程度」と「個別性」です。
少なくとも私は、還暦を過ぎてから、学び、生活習慣を見直し、改めることを選びました。
数値に追われる医療ではなく、
自分の体を理解する医療こそが必要なのではないでしょうか。
この記事は一般的な情報提供を目的としており、個別の医療アドバイスに代わるものではありません。
治療方針の決定にあたっては、必ず医師とご相談ください。
高血圧の原因は多様であり、二次性高血圧の可能性も考慮すべきです。

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