観光化で薄れゆく金毘羅山に宿る精神性|三大庶民参拝の一つの現在を訪ねて

旅行・食

久しぶりに四国を訪ね、念願の讃岐うどんを味わいながら、かねてから楽しみにしていた“金毘羅山”を巡ってきました。

“金毘羅参り”は、江戸時代に「お伊勢参り」「善光寺参り」と並んで、三大庶民参拝の一つとして親しまれてきたと言われています。

“奥社”までの1368段を登る道のりは、体力的にもなかなかの挑戦ですが、それ以上に随所に歴史の重みと信仰の痕跡を感じる空間です。

現在は信仰の場としての面影を保ちつつも、外国人観光客の増加や若い世代の信仰心の希薄化により、観光地としての色合いが濃くなりつつあるようにも感じます。

この記事では、今回の訪問を機に現地で感じたことを交えながら、両親の故郷でもあるこの地に息づく金毘羅信仰の歴史と、その現在をご紹介してみたいと思います。

金毘羅山を訪ねて──1368段の祈りの道

金毘羅山について

金毘羅山は、奈良時代以前より「象頭山(ぞうずさん)」を神体山として、「水の神」「農耕神」として祀られ、讃岐の人々にとって生活と直結する信仰対象でした。

奈良〜平安期にかけて、修験道や密教の影響を受け、「金毘羅大権現」と称されるようになったと言われています。修験道の聖地であり、山岳仏教の霊場でした。

金毘羅参りは、江戸時代に入り、「金毘羅船々」という民謡(こんぴら船々 追風に帆かけて〜 )の唄が全国に広まり、信仰も全国に伝播して盛んになったそうです。

金毘羅山は「海の神」「航海安全の守護神」として全国的に信仰され、江戸時代には「お伊勢参り」と並ぶ「庶民の憧れの大巡礼地」でした。
明治時代の神仏分離により、金毘羅大権現(象頭山松尾寺)から、現在の神道を司る金刀比羅宮となり、形式を神社に変えましたが、本質は依然として“庶民の救いの信仰”として存在しています。

いざ、参道へ

10月の中旬、ようやく秋の気配が感じられる季節に久しぶりに四国を訪れました。グルメ的な目的もありましたが、今回のメインは”こんぴらさん”の参拝です。

駅前の県道208号線と「金毘羅街道」の交差点を西側に、表参道を200mくらい進むと、”こんぴらんさん”への「1段目」の階段が始まります。

1段目の階段はそこから

この半世紀で周りの景色は少しづつ変わっているはずですが、参道の階段の左右の土産物売り場の気配から、60年くらい前に訪れた時の記憶が微かによみがえります。

御本宮までの785段の間の景色は、安らぎに満ちていました。懐かしさのせいかもしれません。

桜馬場

神仏習合時代の本殿:旭社の輝き

旭社は「社殿」としては異例の装飾美を誇り、江戸彫刻の粋を集めた重厚な建築です。

神仏習合時代の“金毘羅山の本殿”:旭社

一般的な神社では、伊勢神宮のように「素木(しらき)造り」を基本とし、神道の精神に基づき華美な装飾を排した簡素で清浄な建築様式を伝統としています。

旭社の装飾美は、神仏習合時代の影響(権現造り)と言われており、実は、江戸時代における参拝の目的地はこの旭社だったのです。日光東照宮も権現造り(神仏融合)でしたね。
明治の神仏分離以降、旭社は祭祀の中心から退き、現在は往時の信仰の記憶を伝える建築として残されています。

本宮へ最後の上り

本宮は、明治以降の神仏分離により、「金刀比羅宮本宮」として主祭神を祀る中心になりましたが、それ以前は、奥の院的存在で修験者の霊域としての位置づけだったのです。

荘厳な佇まいの御本宮

本宮までの785段を上ると、讃岐平野と瀬戸内海を一望することができ、海の信仰の象徴的景観が爽やかに広がります。

本宮横の展望台から望む讃岐の街並み

本宮から奥社へ──俗から聖への道

その先の御本宮から奥社までの583段の石段が続く道には、今に続く幾多の信仰の痕跡がありました。

常盤神社から白峰神社へ向かう石段

奥社までの道に点在する神社群は、金刀比羅宮が古来より修験道の霊場であり、また、航海の安全を祈る海の神、そして地域の歴史上の重要な人物(崇徳天皇、菅原道真など)を祀ることで、信仰の幅を広げてきた歴史を物語っています。

崇徳天皇を祀る白峰神社

崇徳天皇を祀る白峰神社を過ぎると、学問の神様である菅原神社が祀られています。

その先は静寂に包まれた霊域で、「己との対話」がテーマになる場所、奥社である厳魂神社(いづたまじんじゃ)があります。

奥社に向かいラストスパート

この日は平日でしたが、奥社も観光客でにぎわっていました。

奥社の厳魂神社(いづたまじんじゃ)

登るほどに俗界を離れ、心身を浄化して“神域”へ近づくとされ、奥社は古くから“祈りの到達点”とされてきました。

信仰の場は変わらずとも、行き交う人は時代とともに変わりゆく。信仰を育むものはその場所ではなく、人の心の中にあるのかもしれないと感じるひと時でした。

三大庶民参拝:お伊勢参り、金毘羅山参り、善光寺参り

お伊勢参り

お伊勢参りは、天照大神への参拝で、「国家神道」に基づいて「生かされる喜び」を祈る旅です。

国家・天皇中心の信仰が中心にあり、家内安全・国家安泰を祈ります。

金毘羅山参り

金毘羅参りは、民間・庶民中心の信仰で、航海安全、五穀豊穣、商売繁盛、病気平癒を求める「生きるための信仰」と言えます。

庶民の精神的自立の象徴と言えます。

善光寺参り

善光寺参りは「死後の安心・魂の救済」という心の救いの巡礼で「死を超えるための信仰」でした。

善光寺は、「無宗派の寺」として知られ、宗派・身分・性別の制限がなく、万人が参拝可能な日本有数の霊場です。

「牛に引かれて善光寺参り」という諺でも有名です。

三大庶民参拝のまとめ

対象お伊勢参り金毘羅参り善光寺参り
信仰対象天照大神
(国家神)
金毘羅大権現
(海神・山神)
阿弥陀如来
(普遍仏)
信仰の性質公的・国家的民間・生活的個人的・精神的
ご利益国家安泰・家内安全航海安全・商売繁盛極楽往生・心の平安
参拝の象徴「おかげ」
=共同体の恩恵
「登る」
=挑戦と祈り
「闇をくぐる」
=死と再生
代表的信者層農民・武士・全国民商人・船乗り・地方民女性・老年層・病弱者
旅の意味国家と自分を結ぶ自然と自分を結ぶ仏と自分を結ぶ
象徴する世界観天(国家・太陽)山と海(自然・運命)闇と光(魂・救済)

まとめ

文化、伝統や歴史遺産は貴重な心のふるさとです。
しかし時代が移ろい、「それら」と共にそこにあったはずの私たちの心も、少し離れつつある気がします。

自分の内面にある大切なものへの思いが、時代とともに変化するのは自然なことかもしれません。
けれども、どこかに留めておくべき「祈りのかたち」があることも、こうして山を登りながら思い出したように感じました。

正直なところ、私は宗教的な意味での信仰心はほぼありませんが、寺社仏閣にある重厚な歴史と共にある崇高な美意識には強く惹かれるのです。そこには何かあると感じるのです。

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