飲酒が育む薬害文化!わずかな安らぎで失う「大きな代償」:実感しているその恩恵の真の意味とは?

学び・雑記

実は、この記事を書くにあたって、私は自分の飲酒習慣を、自分でも驚くほど根底から見直しました。
そして、飲酒を見直す新たな習慣を始めてから、今日で二週間目を迎えました。

まだまだ定着したとは言えませんが、強い意志でこの習慣を続けると決めています。

これまでの私はというと、平均して2合くらいの飲酒を、毎日欠かさず約40年ずっと続けていました。

「なぜそんな私に、こんな判断ができたのか?」この記事ではその深い理由をご紹介します。

皆さんは、飲酒は「薬害」という認識はありますか?

そして、飲酒には『いいことはごく僅かしかなく』『は驚くほど多岐にわたる』ことをご存知でしょうか。

お酒のもたらすポジティブな印象とは裏腹に、お酒は驚くほどに有害だという事実を、この時代の学術的なコンセンサスとエビデンスに基づいてご紹介します。

みなさんの人生が、より明るく、豊かになるための指針となることを願っています。

楽しい「乾杯」の裏側に隠された、飲酒による信じられない問題点

一日の終わりに、一人静かにお酒をたしなむ時間は、大切なリラックスタイムかもしれません。

私も、スキーや山歩きの楽しみの半分以上が、そこに付随する飲み会だったりしていましたし、飲酒に伴う高揚感にはある種の依存性があるのかもしれないと感じていました。

くつろぎのひととき

私たちにとって、お酒は単なる飲み物以上の意味を持ちます。それは、古くからの文化であり、歴史であり、社会的な「潤滑油」であり、時に「百薬の長」とさえ言われてきました。

「酒を酌み交わす」という表現には、甘美な誘惑の香りが漂いませんか。そう言われると、なかなか断るという選択肢は選びづらいですね。

しかし、その「乾杯」の瞬間から、私たちの脳や細胞では知らない間に、しかし非常に重要な「薬物反応」が起きているというのです。 そして、その反応は、少なくても習慣的な飲酒においては、決して一時的な問題ではなく、私たちの未来の健康と幸福に、じわじわと、しかし確実に、そして回復困難な影響を及ぼす可能性があるのです。

飲酒は、単に耐性、依存、離脱症状、認知機能の低下といった問題だけではありません。脳自体の萎縮に伴う認知症リスクや、精神疾患のリスクが増大するなど、私たちが認識できてないリスクが驚くほどに多かったのです。

しかし、「飲酒の習慣がもたらす様々な至福の時間」を簡単には捨て去れない、という点ではお酒が大好きな私も激しく同意するところです。

この記事では、押さえておくべき重要なポイントと、現実的な飲酒との向き合い方について、私の経験も交えてお話しします。

  • 飲酒はどれほどまでに、深刻な問題として私たちの体を傷つけているのか
  • そして、お酒との付き合い方として、どのあたりに落としどころを見つければいいのか

正直なところ、切り捨てざるを得ない日常の飲酒の習慣は思ったよりも多く、この決心には相応の納得が必要でした。

裏を返せば、こんな私が納得するほどに、飲酒のリスクはとんでもなく高かったということです。

それでも、根強いお酒へのポジティブな思いは、簡単には払しょくできません。この点は、この記事の後半でまとめて列挙しますが、ほぼ全て、建設的に否定されている事だけをお伝えしておきます。

「酒は百薬の長」は昔の話:今は「飲酒は薬害」と知る時代

「酒は百薬の長」という言葉は、私たちの日常に深く根付き、人生の様々な節目で中心にありました。家族や友人との絆を深める「魔法の液体」だと信じて疑わなかった人も多いでしょう

酒は百薬の長???

飲酒は、日常に根付いた文化、習慣であり、否定的に理解することは大きな抵抗がありますね。もちろん私もそうでしたから。

そして、私は飲酒の薬害としての側面を、教育の中で適切に学ぶ機会はあまりなかったように思います。何故なんでしょう?

しかし、事実として、現代科学においては、飲酒には問題視すべき「薬害」が、想像をはるかに超えて存在していることが示されているのです。本当に驚きでした。

実は、「酒は百薬の長」というポジティブな認識こそが、アルコールの「薬物」としての側面から私たちの目を背けさせてきたのです。そして、そこには大人な事情も潜んでいるのではないでしょうか。

昔は、お酒は本当に「百薬の長」だった

「酒は百薬の長」という言葉は、中国の前漢時代に班固(はんこ)によって編纂された歴史書『漢書』の「食貨志」という篇に見られるもので、そこに「酒は百薬の長、嘉会(かかい)の好(よしみ)」という記述があります。
直訳すると「酒は多くの薬の中で最も優れており、喜びの集まりには欠かせない良いもの」という意味だそうです。

古代中国では酒は百薬の長

古代中国では、酒は単なる嗜好品ではなく、薬用、祭祀用としても非常に重要な位置を占めていました。薬酒の文化も古くから発達しており、様々な生薬を酒に浸して病気の治療や養生に用いる習慣もありました。当時は現代のような長寿の時代ではなかったこともあり、薬効もあり、楽しく和やかな交流にとって欠かせないことからも「酒は百薬の長」というのにふさわしいものだったのかもしれません。

その他にも、当時の生活環境においては、お酒の優れた面に関するお話はいくつかあるのですが、ここでは本筋から外れるので割愛させてもらいます。

でも、今ではお酒は「薬害といえるほどに有害なもの」だと分かった

現代科学は、酒は百薬の長を明確に否定しているのです。ご存知でしたか?

  • 世界保健機関(WHO)は、「いかなる量のアルコールも、健康に安全な量はない」と明確に断言しています。 かつて心血管疾患への「適量」の議論がありましたが、それは全体的な死亡リスクや、次に述べる「がん」や「脳機能」への影響を総合的に考慮すると、もはや維持できません。
  • アルコール飲料とその代謝物であるアセトアルデヒドは、国際がん研究機関(IARC)によって、タバコやアスベスト、ディーゼルエンジンの排気ガスと同じ「グループ1:ヒトに対して発がん性がある」物質に分類されています。 これは、「間違いなく人間のがんを引き起こす」という、最も強力な警告です。
科学的コンセンサス

こうした情報に対しては、どうしても「本当に?」と、抵抗感を禁じ得ない人も少なからずいらっしゃると思います。私もそうでしたので、具体的な飲酒がもたらす害について、詳しくご紹介していきましょう。

飲酒の歴史的・文化的な側面や、流行、ファッション性を頭から否定するものではありません。しかし、正しい知識を知り得る現代に生きる私たちだからこそ、事実を知り、賢明な選択をすることが、今の時代を生きる知恵だと私は思うのです。

飲酒により「知らぬ間に進行している」脳と細胞への深刻な侵食

「自分は適量しか飲まないし、二日酔いもない。むしろストレス解消になるし、健康問題なんて感じない。」そう思っていませんか? もしかしたら、消化器系の不安もなく、食欲も旺盛で、むしろ健康だとさえ感じているかもしれませんね(実は私のことです)。

しかし、実はアルコールがもたらす一時の高揚感やリラックスは、脳の薬理的な操作によるものであり、主にGABA系の活性化やグルタミン酸系の抑制など、神経伝達物質系のバランスを崩すことで得られます。その代償として、長期的に見れば脳の恒常性(ホメオスタシス)を乱し、様々な有害な影響や機能不全を引き起こす可能性があるのです。この「薬物反応」という側面を深く理解し、その後のネガティブな影響まで含めて「総合的に評価」することが重要です。

ここには、見えないネガティブな代償が驚くほどたくさん隠されているのです。

アルコール(エタノール)が脳に入ると、非常に広範かつ複雑な影響を神経細胞(ニューロン)に与えます。これにより、神経伝達物質のバランスを直接的に操作し、広範かつ複雑な影響を神経細胞に与えます。

アルコールは、私たちが実感しないごく少量からでも、私たちの脳細胞や身体の細胞に、確実に、しかし静かに影響を与え続けているのです。

まずは具体的なメカニズムを簡単にご紹介しましょう。

  1. 神経伝達物質の「無理やり操作」とその代償
    • お酒を飲んでリラックスしたり、気分が高揚したりするのは、アルコールが脳内のGABA(抑制性)やドーパミン(快楽・報酬系)などの神経伝達物質のバランスを「薬物的に操作」するからです。
    • しかし、これは脳が自力でバランスを保つ恒常性を乱します。脳はこれに適応しようと、受容体の数を変えたり、神経伝達物質の放出量を調整したりします。結果として、アルコールがないと神経が興奮しやすくなったり(不安、不眠)、快感を感じにくくなったりするなど、長期的な機能不全を招きます。これは、一時的な快楽と引き換えに、脳の「自然な能力」を削いでいることに他なりません。
  2. 認知機能への「じわじわ進行するダメージ」
    • 長期的な飲酒は、「適量」とされる範囲であっても、脳の萎縮(容量の減少)と関連することが、大規模な研究で示されています。特に、記憶を司る「海馬」や、計画・判断・意思決定を担う「前頭前野」に影響が出やすいとされます。
    • これにより、微細な認知機能の低下(情報処理速度の低下、注意力散漫、記憶の定着の悪化など)が起こります。これらは、日常生活で劇的に気づくものではないかもしれませんが、本来発揮できたはずの「最適なパフォーマンス」からの、緩やかな、しかし着実な低下を意味します。それは、私たちの「思考の明晰さ」や「学ぶ意欲」を、気づかないうちに蝕んでいく可能性があります。
    • これらの変化は、完全に回復が困難な場合もあります。特に、神経細胞そのものへの直接的なダメージや、長期にわたる神経炎症の蓄積は、不可逆的な影響につながることが懸念されます。
  3. 精神疾患リスクの「明確な増大」
    • アルコールは、精神疾患を直接的に「引き起こす」というより、その「発症リスクを明確に増大させる」要因として認識されています。
    • うつ病・不安障害:アルコールによるセロトニン系の機能不全や、飲酒後の「反跳性興奮」(GABAとグルタミン酸のバランスの乱れ)は、不安感やイライラ、不眠を助長し、うつ病や不安障害の発症・悪化に直接的に寄与します。これは、単なる「一時的な気分悪化」ではなく、治療を要する精神疾患へと進行する可能性があり、その影響は決して限定的とは言えません。
    • 依存症:そして最も重要なのは、アルコール依存症が「脳の病気」である精神疾患であることです。いかなる量の飲酒からでも、脳の報酬系の変化(ドーパミン関連)を通じて、誰でも依存症に陥る可能性があります。私たちは今、依存的な抵抗がないと感じているかもしれませんが「閾値が高い」という自己認識は、決して「リスクがない」ことを意味しません。ストレスや環境の変化によって、いつの間にか脳のメカニズムが「薬物を求める」状態に変わってしまう危険性は、常に存在します。
脳に与える影響

「適量のお酒は大丈夫!」という神話の崩壊:脳内で起きる様々な不具合

現代の科学的知見では、「健康に安全なお酒の適量」は存在しないという認識が重要です。
ごく少量からでも、がんや脳へのリスクはゼロではなく、飲酒量に比例して上昇します。

適量の飲酒であっても、脳の正常な神経活動のパフォーマンスに、無視できないネガティブな影響を及ぼす可能性があり、その影響は単なる限定的とは言い切れない側面を持つ、というのが現在の科学的コンセンサスに近づきつつある見解です。

お酒好きには、救いのない結論ですね。私もにわかには信じれらず、何度も調べました。しかし、特に、「認知機能の低下」と「精神疾患のリスク増大」については、より深刻な認識が広がっているのだそうです。

「適量」の再定義と「安全な量はない」という認識

  • かつては、一日1〜2ドリンク(純アルコール20g程度)は心血管疾患のリスクを下げる可能性がある、といった「適量」の議論がありました。しかし、これは主に心血管疾患に限定された見解であり、がん、脳機能、全体的な死亡リスクを総合的に見ると、「いかなる量のアルコールも、健康に安全な量はない」という認識が国際的な主流となりつつあります(WHO 2023年声明など)。
  • 少なくとも以下の点においては、明確な国際的科学コンセンサスが得られています。
    いかなる量のアルコールもがんのリスクを増大させる安全な量はない。 これは、最も確固たるエビデンスとコンセンサスを持つ領域です。
    長期的な飲酒は、適量とされる範囲であっても脳の萎縮や認知機能低下、精神疾患のリスクを増大させる。 少量の飲酒が直ちに不可逆的なダメージを与えるとは断定できないが、リスクはゼロではなく、蓄積性の影響が懸念される。
    健康リスクを最小化するアルコール摂取量はゼロである。 少量飲酒が特定の疾患にもたらす可能性のあるごくわずかなメリットは、がんリスクの増大など他のリスクによって相殺され、全体としての健康上の利益は認められない。
  • 脳に関しては、特に「少量でもリスクがある」という点が強調されます。アルコールは直接脳細胞に到達し、前述の神経伝達物質系(GABA, グルタミン酸, ドーパミンなど)のバランスを崩すため、その影響は飲酒開始直後から生じます。

つまり、現在の科学の知見では「酒は百害あって一利なし」そのもの、だというのです。

「百害あるよー」

脳の神経活動パフォーマンスへの影響

  • 長期的な飲酒は、たとえ「適量」とされる範囲内であっても、脳の容量の減少(萎縮)と関連することが複数の研究で示されています。特に、記憶や学習に関わる海馬、意思決定や抑制に関わる前頭前野に影響が出やすいとされます。
  • 認知機能への影響は「破壊的」というよりは「徐々に進行する変化」と捉えられますが、その蓄積は無視できません
  • 飲酒は、反応速度、注意力、情報処理速度、記憶の形成・想起といった高次脳機能に微細な影響を与えます。この微細な認知機能の低下は 、一見すると日常生活に支障をきたさないレベルかもしれませんが、本来発揮できたはずの「最適なパフォーマンス」からの低下を意味します。年齢を重ねるにつれて、この微細な低下が顕在化し、認知症のリスク増大へと繋がる可能性が高まります。
  • 飲酒を減らすことで一部の認知機能や脳容量が回復する可能性はありますが、長期間の飲酒による全ての変化が元に戻るとは限りません。特に神経細胞そのものへのダメージは非可逆的な場合があります。

致命的な精神疾患のリスク増大

精神疾患のリスク増大は「限定的」とは言えず、むしろ「致命的な影響の一つ」と考えるべきです。アルコールは脳の神経伝達物質バランスを崩し、うつ病、不安障害、睡眠障害の発症・悪化、そして最も重要な「アルコール依存症」という精神疾患そのものに直結するのです。

  • アルコールは一時的に気分を高揚させたり不安を軽減させたりしますが、これは神経伝達物質の不自然な操作の結果です。飲酒習慣が続くと、脳の神経伝達物質(特にセロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンなど)のバランスが慢性的に崩れ、うつ病や不安障害の発症リスクを明確に増大させます。これは、精神科医の間では広く認識されている事実です。
  • 「寝酒」は一時的に寝つきを良くするかもしれませんが、睡眠の質(特に深い睡眠やレム睡眠)を著しく低下させます。慢性的な睡眠不足は、精神的な安定性を損ない、うつ病や不安の悪化に直結します。
  • アルコール依存症自体が、国際的な診断基準で定義された「精神疾患」です。適量から始めても、脳の報酬系の変化(ドーパミン関連)や耐性形成のメカニズムにより、誰もが依存症に陥るリスクを抱えています。この依存症は、個人の意思や努力だけでは克服が極めて困難であり、人生を破綻させる可能性のある「致命的な影響」です。
  • 精神的な不安定さや依存の問題は、自己認識を歪め、自己評価を低下させ、人生の満足度を大きく損なう可能性があります。

個人的な限界と「適量」の自己解釈の問題

「個人的な限界を一定理解した前提で、適量を楽しむ」という考えは非常に重要ですが、ここに大きな落とし穴があります。

  • がんや脳への影響に関して、国際的に「安全な適量」という明確な基準は存在しません。私たちの「個人的な限界」という認識が、客観的なリスクと乖離している可能性があります。
  • 人は自分の飲酒量を過小評価し、自分の健康状態を過大評価する傾向があります。また、脳への影響は非常に緩やかに進むため、「自分は大丈夫」という誤った安心感を抱きやすいです。
  • どんなに強い意志を持つ人でも、脳の薬理学的メカニズムに抗うことは困難です。特に、ストレスが多い時期や精神的に不安定な時期に、飲酒量が増え、「たしなみ」から「依存」へと気づかないうちに移行してしまうリスクは常に存在します。

完全に論破された「飲酒にまつわるポジティブな幻想」

飲酒は、確かに人類の歴史の中で多岐にわたる役割を担い、多くのポジティブな側面を持つと信じられてきました。

しかし、その「恩恵」は、現代科学の知見から理解すると、その多くが限定的、一時的、あるいは別の側面から見れば有害であると徹底的に反論されます。

これらは、科学的知見に対する「無知」が育んだ幻想であり、人類が過去に培った「負の文化遺産」と捉えるべきものかもしれず、そして、その代償は計り知れないのです。

私はほぼ完全に納得してしまいました。しかし、すぐに完全に止めようとできないのは、長年かけて脳内に形成された価値観のなせる業なのか、単なる依存症なのか?

むしろ、これまでアルコールに費やされてきた計り知れない才能、情熱、努力、経済力、そして貴重な時間を、より健康で、より創造的で、より持続可能な新しい文化の創造へと振り向ける絶好の機会です。

真実を知り、賢明な選択と行動へとつなげることこそが、今、人類に求められる「知」の共有であり、新たな「文化創造」への第一歩なのではないでしょうか。

飲酒文化が抱える巨大な経済的利権膨大な文化的裾野への対応は、非常に難しい課題として横たわります。この点でも、飲酒文化を安易に否定することは簡単ではありません。飲酒に対する適切な教育の難しさの理由はここにあります。

私たちが日常的に感じている、「飲酒の恩恵、分化・歴史的価値などのポジティブな側面」に対して、現在科学の「知」とやら』が、本当に明確に否定し切れているのか、についての具体的なご説明は、紙面の都合で別の機会に整理してお知らせしたいと思います。本当に納得できるかどうかについてのまとめになります。

ただし、「こうした理解が絶対正しいから、こうすべきだ」というつもりは、全くなくて、まずは知ることをお勧めする意図のつもりです。

次回予告:完膚なきまでに反論された「飲酒にまつわるポジティブな見解」とは

  • 社会的な潤滑剤としての機能
    ・コミュニケーションの促進
    ・連帯感・一体感の醸成
    ・儀式・祭祀における役割
    ・人間関係の深化
  • 心理的・感情的効用
    ・リラクゼーション・ストレス解消
    ・気分高揚・多幸感
    ・自己解放・抑制の緩和
    ・創造性・発想の促進
  • 文化的・歴史的価値
    ・食文化との融合
    ・芸術・文学の源泉
    ・歴史的伝統の継承
    ・「大人」の象徴・権威
  • 感覚的快楽
    ・味覚・嗅覚の楽しみ
    ・酔いの心地よさ

賢明な「選択」と、手に入れる「本物の価値」

人類は何千年も飲酒の習慣を楽しみ、何の問題もなく健康に過ごしているのだから、そこまで深刻に考えなくてもいいのではないか」――私も最初はそう思いました。

確かに飲酒の習慣は、これまでの記憶の中で決してネガティブな思い出ではなく、むしろ楽しいことの方が多かったし、これからも突然縁を切るという選択は、少なくても私には現実的ではないと感じました。

しかし、私たちが生きるこの時代は、太古の昔とは違い真実を知り得る時代です。

私のこれまでの飲酒習慣は、周囲の共感もあり、どこかの誰かによる思惑に誘導もされたものかもしれません。しかし、何よりも自分が良かれと判断して馴染んできた習慣です。一方で、現在知り得た知識に対して「無知」だったがゆえの選択だったと、今、強く振り返っています。

真実を知った上で、人として価値ある振る舞いにつなげることができるかどうかが、今を生きる人の使命ではないでしょうか。

人類は、飲酒習慣を、自分の理解と判断のもとで、もう少し賢く付き合っていくべきではないかと思い至ったわけです。

もちろん、分かってても「楽しい方がいいよね」「自分の体のことは自分で判断するから放っといて」という考えもあるでしょう。

しかし、「真実を知り、自らの頭で考えて、適切に判断すること」にも価値があるのではないでしょうか。

人類として少しづつでも賢明な選択をしていくことは、決して無駄なことではないと感じています。

「さはさりとて」ということになりますが、偉そうに言いながら、現実的には、私には直ちに飲酒をやめるだけの決心をするには、少しハードルが高く、結局腰砕けな選択をすることにしました。

賢明な「行動変容」に向けた小さな一歩

一足飛びに、理想的な状態に移行し、「私は、お酒は体に悪いから今日から止める」と言えればいいのですが、40年にわたるお酒への執着は、そうは簡単に捨て去れないものです。

大切なのは、影響を小さくコントロールする試みと、その結果得られる体感としての経験値を得ることと考え、少しハードルを下げた次のような目標設定をしてみました。

  • 一日の飲酒量は最大でも日本酒換算で0.8合程度に抑え、それ以上は追加しない
  • 加えて、週に2日は曜日を決めて、完全禁酒日を設ける
  • ただし、誰かとの飲み会や、旅行で美味しい料理をいただく際は、特例的に飲酒を許容します

これは少し緩い取り組みに思えるかもしれませんが、連続飲酒が良くないという科学的知見に沿って、また「適量」という意図ではなく、可能な範囲でアルコールによる負荷を最小化することが目的です。まずは、体や脳へのストレスの大幅な軽減を目標とします。

知る事、始める事

大切なのは、「知ること」そして「始めること」という趣旨です。

そして、こうした習慣により、短期的か長期的か分かりませんが、いつの日か体感できた変化や効果を皆様と共有できればと考えています。

長期的には、アルコール飲料以外の選択肢を模索することも視野に入れ、気長に取り組んでいきたいと考えています。

こうした取り組みは、ひょっとするとこの40年間で私が失ったものを取戻す機会になるかもしれません。

思考がクリアになり、集中力が向上し、記憶力も改善されるかもしれません。
睡眠の質が向上し、目覚めが爽やかになるかも知れません。
ストレスに対するレジリエンス(回復力)を高め、精神的な安定がもたらされるかもしれません。

補足の考察:アルコール摂取は人類の特権ではなかった

文化というレベルでは、飲酒は人類特有の行動といえますが、熟した果実、樹液、蜜など、自然界にはアルコールが含まれる食物が広く存在します。

果実食や蜜食をする動物(例えば、一部のサル、コウモリ、鳥類、昆虫など)は、日常的にある程度のアルコールを摂取していると考えられているそうです。

人類も含めて、特に果実や蜜を主食とする哺乳類や鳥類は、アルコールを効率的に代謝する酵素(アルコールデヒドロゲナーゼ、ADHなど)を進化させてきました。

そうした視点で考えると、人類の科学的な知見では飲酒は非建設的で不健康な活動とみなされますが、生物の進化の過程では、飲酒行動は必ずしも悪ではなかったのかもしれません。

この補足記事の意図は、動物界でも自然な営みの中で飲酒しているんだし、適応して進化してきたのなら、飲酒習慣は結局悪いものではないのでは?という、自分自身の疑問に対する答えでもあります。しかし、そうだとしても、この時代の科学の知恵は、現実にアルコールは私たちの体や脳を蝕むという事実を理解・認識したのです。

まとめ

飲酒という、人類が何千年もかけて気づいてきた貴重な「お酒」の文化を、頭ごなしに否定するのはとてもはばかられますが、「無知」が生んだ、実は生物学的には不毛な文化だったのかもしれないと考えると、やりきれない思いにもなります。

しかし、一方で「常識」や「習慣」や「同調圧力」に流されるのではなく、「科学的な事実」に基づいて、自分自身の身体と心の未来を考えるという選択をし、賢明な一歩を踏み出してみる絶好の機会かもしれません。

少なくても、人の身体的な健康を損なうという意味では、飲酒は適切な行動とは言えないようですね。

「過去はこうだったから」ではなく、「今、何が最適か」「未来のために、何をすべきか」という視点に立つことは、より健康で、より充実した、そして真に自由な人生を切り拓くことかもしれません。

この記事が、皆さんの「意識改革」へのきっかけになれば幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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