戦争は必然で、理想的な平和や公平が幻想という話!学校で教えない人類の争いの本質

学び・雑記

なぜ、戦争はなくならないのでしょうか?

それは、『誰かのせい』では片付けられない、人類の本質的な問題です。

学校で学んだ理想的な平和な世界の実現は、現実の前では無力なのでしょうか?
人類は、争いを克服できないのでしょうか?

この記事では、争いの根源を深く掘り下げ、その本質を解き明かし、より良い未来を築くために、私たちが知るべき現実をご紹介します。

先日の「「思考停止」の罠から脱却!全体最適と個の多様性を両立させる思考法」という記事と合わせて読んでいただけるとより理解しやすいと思います。

戦争の現実:世界に存在する厳しい現実への認識の甘さ!

世界には、私たちが想像もできない厳しい現実が広がっています。特定の多国籍企業による資源の搾取犯罪組織の支配絶え間ない内戦や紛争。今日も人々が貧困にあえぎ、命を落としています。

これらの現実は、決して遠い世界の出来事ではありません。

YouTubeチャンネル「Bappa Shota」では、世界各地のリアルな現状が発信されています。そこで映し出されるのは、私たちが普段目にすることのない、生々しい現実です。こうした情報に触れることは、世界を理解するための第一歩となります。

『人は理性的な生き物だ』『世界は平和に向かっている』。そんな理想論は、現実の前では無力です。人類はもっと賢明であるべきだとは思いませんか?

世界平和を語るならば、人、集団、国家間に存在する、人類全体で解決すべき課題が未解決のまま放置されていることを真に理解する必要があると思うのです。

世界から争いがなくならない本質的な原因を知り、為すべきことを考えてみませんか。

人類が争いを繰り返す、驚くほど単純で、しかし複雑な理由

人類が争いを繰り返す背景には、下記の、重要で複合的な課題が存在するのです。

  1. 全体最適の追求:社会全体にとって最善の選択が、必ずしも個々の集団や個人にとっての利益と一致するとは限りません
    しかし、総体としての人類は、全体最適に向かうべきという命題を負っているのではないでしょうか
  2. 団間の価値観の齟齬(そご):わたしたち人類は、家族、会社、国家、宗教など、異なる集団に従属し、個々の集団はそれぞれ独自の価値観を持ち、それが衝突することで対立が生まれまれるという、極めて解決困難な宿命を背負っています
    異なる複数の所属集団の価値観を整合し、自分の内面一つの統合的な価値基準再構築して、物事を判断するということ非常に難しいのです
    立場が変わると、正義と悪が逆転する時、私たちはどの立場の利益を代表すべきなのでしょうか
  3. 個人の価値観の流動性、脆弱性:状況や立場によって変化する個人の価値観は、一貫性を欠き、集団間の調整を困難にします
    人間は認知バイアスや感情の影響を受けやすく、客観的な判断が難しいことがあります
    集団に所属することで、同調圧力集団思考が働き、個人の意見が抑圧されることもあります
    人は所属する多くの集団に対して、妥協して折り合いをつけることはできますが、全ての利益を調整して統合するだけの知恵はまだありません
    人は、個人の能力ががとても優秀であった場合でも、集団としては考えられないほど愚かな判断をすることもあるのです(集団思考による愚判断
  4. 個人の未熟さによる悪意の介入:認知バイアスや感情に左右されやすい人間の未熟さは、意図的な誤情報の拡散や、自己利益のための他者への攻撃など、悪意ある行動を助長し、争いを激化させます

私たちは、目前の課題を単純化したり、理想的に解決する前提で捉えがちですが、これらの本質的な構造は理解できているでしょうか?

これらの課題は、互いに独立して存在するのではなく、複雑に絡み合っています。例えば、全体最適を追求する過程で、特定の集団の価値観が無視され、対立が激化することがあります。

また、個人の流動的な価値観は、集団間の合意形成を妨げ、対立を長期化させる要因となります。さらに、悪意ある行動は、これらの課題を悪化させ、解決をより困難にします。

これらの課題に対処するためには、まずそれぞれの構造的な課題を明確に理解・認識し、その上で、対話や交渉を通じて、理想論で最適解を探すのではなくより良い解決策を探るしかないことを理解し、相互理解と合意形成を目指す必要があります。まれに最適解があるとしても、それはものすごく稀なことだと理解することも重要です。

また、個人の価値観の流動性を考慮し、柔軟な対応を心がけることも重要です。そして、利己的、あるいは悪意ある行動に対しては、倫理観や道徳観に基づいた教育や、法的な規制など、多角的な対策が求められますが、個々人の課題として一人一人が生まれてきたことの意義や、自分の価値観、倫理観を見つめ直すきっかけとすべきではないでしょうか。

私は神は信じませんが、悪意ある行動には天罰が有ってほしいものだと思います。

私たちにできること、それは…

世界には対立があるのは必然です。世界の現実を知りその原因を理解すること。それが、理想論ではなく、より良い選択をするための第一歩です。安全な場所にいるからといって、無関心でいて良いはずはありません。

経済格差が現実にあり、地球レベルでの最適化にはほど遠いという現状を見ると、人類の文明レベルはまだ低いと言わざるを得ないのかもしれません。先進国の主張は自己中心的で、現状を直視せず、責任転嫁の場面も多く、とても文明的とは言えません。

自国を見ても、協調性や表面的な思いやりという点ではマシかもしれませんが、SNSでの私刑などを見るにつけ、決して文化レベルが高いようには思えません。個人の価値観形成が未熟であり、周囲の意見に流されやすい傾向が見られます。

世界が向かうべきは、まずは全体最適化でしょう。そのためには、自らの考えで責任ある発言をし、国の統治にも積極的に関心を持つことが必要かもしれません。全体最適の先には、局所的な不整合、部分最適、個の多様性との調和が必要です。

大切なのは、理想論を語ることではなく現実を直視し、「よりマシな選択肢」を模索することではないでしょうか。

私たち一人ひとりに、できることはたくさんあります。その道は遠くとも、歩み続けることが重要です。

まとめ

争いは、人類の歴史からは切り離せない宿命であり、現実です。

しかし、現実を受け入れ、知恵と努力を重ねることで、より良い未来を築くことは可能です。

「思考停止」から抜け出し、私たち一人ひとりが主体的に行動することで、争いのない世界に一歩近づけるのではないでしょうか。

あなた自身は、どのような集団に所属し、どのような価値観の葛藤を経験していますか?
多重的な価値観の葛藤を、どのように解決できると思いますか?

争いは、人間の認知能力の限界と集団心理、そして多重的な価値観の葛藤によって引き起こされます。

私たちは、これらの要因を理解し、客観的な視点を持つことで、争いを回避し、より良い社会を築くことができるのではないでしょうか。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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