あなたは、日本の政治や、メディアが伝えるニュースを心から信用できますか?おそらく多くの方が、どこかで違和感を抱いているのではないでしょうか。
実際、2019年の「言論NPO」の調査では、メディアや政府を信用する国民はわずか3割程度という結果が出ています。私たちの社会には、見えにくい「情報操作」の罠が潜んでいるのかもしれません。
また、国際的な評価を見ると、公的部門の腐敗認識指数(トランスペアレンシー・インターナショナルが2024年に発表した調査では世界180カ国中18位)は、日本は比較的低いとされています。しかし、これは「日本がそれほど悪くない」ということではなく、世界にはさらに統治が不安定な国が数多く存在するという相対的な評価に過ぎません。
そして、日本の政治には、国政だけでなく地方議会にも根深い問題が潜んでいると指摘されており、この国際的な評価の背後にも、見えにくい課題が存在すると考えられます。
兵庫県知事選挙に関する一連の騒動の裏には、もう一つの主要なプレイヤーであるマスメディアの存在があります。彼らのこれまでの偏向報道の実績は、その影響力の大きさを疑う余地なく示しています。
特に懸念されるのは、ジャーナリストの活動環境やメディアの独立性に関する評価です。国境なき記者団が2025年に発表した「世界報道自由度ランキング」では、日本は世界180カ国中66位と、先進国の中ではかなり低い位置にあります。これは、日本におけるメディアの独立性や公正さが揺らいでいる可能性を強く示唆していると言えるのではないでしょうか。
今回の出来事を、単なる地方自治の「もめごと」として片付けてしまうようでは、日本の将来に明るい展望は開けないのではないでしょうか。
この記事が、こうしたマクロな視点に基づく問題提起を深く考えるヒントになれば幸いです。
メディアの情報に感じた違和感と、SNS情報の付加で辿り着いた納得
私が感じた「違和感」:兵庫県知事選の報道
この問題が表面化した当初から、私自身も報道に強い違和感を覚えていました。特に疑問に感じたのは以下の点です。
- 元県民局長の自殺の背景: 百条委員会での弁明を控えた状況で、なぜそのような選択に至ったのか。もし知事からのパワハラや圧力があったとすれば、なぜ公の場で主張しなかったのか。
- 知事の言動と覚悟: 斎藤知事が給料や退職金を大幅カットし、県政に並々ならぬ覚悟で臨んでいる中で、報道されたような「せこい」言動をするだろうか。
こうした疑問から、マスメディアが伝える情報だけでは合理的な理解が難しく、釈然としない状況が続いていました。

事後情報(ネット他)でたどり着いた納得性
政見放送などでの、立花さんが発信した情報からは、元県民局長の自殺と、県知事の言動との合理的な関連性は低そうなことが類推されました。
元県民局長の公用パソコンの中には、私的で且つ業務とは無関係で、内容的にはとても不適切な個人情報が残されており、それは、真偽不明ながら公的な追及には耐えられないような内容であったとの情報でした。
つまり、元県民局長の自殺に対して、斎藤知事が何らかの形で関与したという趣旨をほのめかす報道には、かなり無理があると考えるのがより合理的に思えてきます。
そして、議会側の発信情報においても、県政の性急な改革に対する反対勢力の抵抗の可能性としてみると腑に落ちるものとなりました。
しかし、私はこうしたSNS情報の信頼性や妥当性に関して、何の疑問もなく受け入れたわけではありません。
関連する周辺情報を調べるにつけ、見聞きした一連の様々な情報の理解に当たって、自分の中での合理的な一貫性が次第に自然に理解できるものとなり、これは確からしいと思っていったのです。

今回の兵庫県知事に関連したメディア情報に関しては多くの議論がありましたが、多くの方が何らかの問題意識を感じたのではないでしょうか。
自らの情報整理の曖昧さ・不確実性への気づき
この件を深掘りする中で、私自身の情報整理の甘さを痛感しました。記憶に頼って論点を書き出したものの、後で確認すると多くの誤りがあり、情報が論理的に整理されていないことに気づかされたのです。
時には、特定の情報に強く誘導され、自らの主張を裏付ける情報ばかりを追いかけていたことにも思い当たりました。
今回の問題には、再選された知事側にも課題があったと推察されますが、私たちが学ぶべきは、こうした複雑な情報にどう向き合うかという点です。改めて論点を整理すると、以下の疑問が浮かび上がります。
- 元県民局長による告発文は事実に基づくものだったのか
- 県の通報保護体制に問題はなかったのか
- 一連の報道は、既得権や利害関係の観点から公平性が保たれていたのか
- なぜ元県民局長の公用パソコンの内容は公表されないのか
- 結局、事実として確認できる情報は何だったのか
- 斎藤知事の不信任案可決の本質的な問題点は何だったのか

どうしても、人は短絡的に結論を急ぐあまり、どこかで特定の意見にくみして、反対意見を排除する思考が働きます。
常に客観的に広い視野で物事をするのは本当に難しいことを痛感しました。
ニュース報道、SNS情報に向き合う心構え
マスメディアであれ、SNSであれ、正しいと思える情報の選択がまずは重要ですが、それは思った以上に困難であり、更に自分の中で情報を論理的に整理して、合理的な判断につなげる分析力も必要です。
自分自身の情報収集・処理力や、判断に必要な知識の蓄積や、正しい判断に至る論理的な知見の積み上げを続けて、安易に人の意見に迎合しない分別を築いていく必要があると痛感しました。
そのための具体的なアプローチについて、お話ししたいと思います。
「識者」と呼ばれる人々の発言を冷静に判断するための5つの視点
マスメディアを中心に、識者とか専門家を名乗る人が、まるでその人が言う事が世の基準であるかのごとき発言を繰り返しますが、果たしてうのみにしてよい情報なのでしょうか。
実は、私たちが思考の起点としてしまいがちなこうした情報にこそ危うさが潜んでいることを認識しなければなりません。
大手メディアだからとか、有名な人だからとか、大学の教授だからとか、専門家と言われているから正し事を言っているという保証はどこにもなく、むしろ怪しいと思う感性が求められているのではないでしょうか。

まずは、識者の発言を冷静に判断する5つのポイントをまとめました。
- 情報源の信頼性を確認する
・発信者の属性:発信者の専門分野や、経歴はどのようなものか、テーマに対して適切な情報提供ができる資質が有るか、過去に偏った意図の発言をしてないか
・メディアの属性:情報を発信しているメディアは信用できるものか
特定のスポンサーや政治団体の利益を代表してないか
・情報の目的:情報の意図と目的を疑いましょう - バイアスの有無を見抜く(思考のクセや隠された意図はないか)
情報には発信者の特別な意図だけでなく、発信者の思考のクセも影響を与えることがあります
発言者の問題だけでなく、自分自身の思考のクセにも向き合う必要があります
・確証バイアス: 自分の考えと一致する情報ばかりに注目してしまう傾向
・利用可能性バイアス: 最近の出来事や印象的な出来事を過度に重視してしまう傾向
・権威への盲信: 専門家や権威者の意見を無条件に信じ込んでしまう
※こうした見極めにも、個人の知見や論理的な分析力が求められ、漫然と聞いていては判断は難しいです - 根拠を確認する
根拠の有無:主張が、具体的なデータや事実によって裏付けられているかを確認します
論理の飛躍:論理が飛躍していないか、前提と結論が一致しているかなどを検証します
言葉の選び方:感情的な言葉や煽るような言葉が使われていないか、ニュアンスを操作するような表現はないかなどを確認します
※反対意見を含めた広い視野で、多面的な可能性を公平・公正に議論しているかを見極める力が必要です - 複数の視点から情報収集し、情報の意図を読み解く
・一つの情報源だけでなく、複数の視点から情報を収集することが重要です
・自分の反対意見であっても異なる意見や報道を比較し、情報の全体像を把握しましょう
・大手メディアの情報を妄信することなく、SNS情報からでも正しそうな情報を調べましょう
・その情報がなぜ今、このメディアで報道されているのか、情報の背景にある出来事や状況を考えます
・関連する他のニュースや事件とのつながりを考えます(多面的に関連性を考える) - 批判的思考を働かせ、自らの価値観や思考で判断する
情報発信者がどのような価値観に基づいて発言しているのかを考え、自分の価値観と比較するために
・常に批判的思考を働かせることを忘れない
・情報を鵜呑みにせず、冷静に分析し、矛盾点や疑問点を見つけ出す
・感情的な反応を抑え、論理的に情報を評価する力を養う
人は、思い込みや先入観(認知バイアス)により、間違ったり、偏った思考に陥りがちです。
識者と言われる人や、その背景にあるメディアの報道には、時にこうした人の思考・判断の弱みにつけ込んで、間違った判断に誘導する意図が隠れていることがあります。
私たちは、情報には常に疑いの目を向けて、背後にある意図を見極め、信じるに足る発言かどうかを理解し、自らの価値観に基づく判断が求められているのです。
個人の感想レベルの発言や、溢れるSNS情報の、「真偽」と「価値」の見極め
「個人の感想レベル」の発言をするコメンテイターや、SNS情報についても、基本的には「識者」の発言への向き合い方に集約されますが、個別に注意すべき点があります。
権威も専門性もなく、自らの意見を自慢げにしゃべるゲスト、コメンテーターを疑う
何の専門性もないただのゲストの発言は特に注意が必要で、まるで多くの意見を代弁しているかのような錯覚、誤解を抱きかねません。

こうした発言こそ、根拠や論理的な整合性を厳しくチェックし、感情や個人の信念に基づく発言を疑う姿勢(情報リテラシー)が強く求められます。
ワイドショーに多く見られるこうしたケースでは、情報への向き合い方を考え直してみることが必要かもしれませんね。
SNS情報との向き合い方
SNS情報は、自己表現、情報共有、娯楽、再生数稼ぎなど、様々な目的で発信されます。
中には再生回数稼ぎの意図で、ほぼ無意味だったり、無責任な引用だったりする情報が数多く溢れているのも事実です。
一方で、速報性が高く、玉石混交の情報のなかには、時に非常に有益な情報が含まれていますので、上手に利用することが求められます。
こうした情報チャネルに対しては、信頼に足る発信者を見つけてリスト化するのが最も効率的な方法かもしれません。
注意すべき視点
- 有名人の顔写真をサムネに使用したり、応援チャンネル的なものが多数あり、価値ある情報かどうか疑わしい情報も非常に多いのも事実なので注意が必要です
・信頼できる発信者かどうかを見極めるには、ある程度以上の情報リテラシーが必要だと感じます - 情報の信頼性は、根拠、合理性、煽り、感情的な言葉、発信意図などを、自らの判断で見極めましょう
・その際は、偏った情報でなく、多角的な視点から発信しているアカウントを探すのも有効です - SNSでは「情報の拡散」は1つの特徴的な現象ですが、多数のアカウントが同じ論調で拡散している時には、少し引いて「本当かな」と疑う姿勢も重要だと思います
- SNSのアルゴリズムにより、ユーザーの興味関心に基づく情報フィルタリングの罠(同じような動画ばかり表示されてしまう)に落ちないことも重要です
- 閲覧数が多いということは、支持者が多いと見るのは1つの判断ですが、再生回数稼ぎの便乗した情報によって間違った方向に誘導されてないか、という意識も重要な視点かもしれません

多くのファクトチェック(事実確認)ツールが開発されており、これらを利用することも時には必要かもしれませんし、信頼できるコミュニティでの情報共有も有効かもしれません。
「ポスト真実」と呼ばれる現代において、事実よりも感情や信念が重視される傾向が強まっています。
このような時代だからこそ、私たち一人ひとりが、いかに客観的な判断を下せるかが問われているのです。
情報を受け取る自らの姿勢・心構え
「識者の発言を冷静に判断する5つのポイント」に記したように情報の真偽の見極め、広い視野で客観的、論理的、合理的に考える胆力が必要です。
- 情報源の信頼性:情報を発信者は誰なのか、その人物や組織の信頼性、過去の言動などを検証する
- 根拠の確認:情報の根拠が明確か、多面的、具体的なデータや事実が示されているかを確認する
- 論理の検証:論理が飛躍していないか、前提と結論が一致しているかなどを検証する
・簡単な一側面の前提を元に、個人の意見や感情的な意見になってないか - 偏りの有無:情報に偏りや感情的な言葉が含まれていないかを確認する
・公平で公正で信頼に足る報道姿勢、内容か
・事実をねじ曲げたり、一部の事実のみを強調したりして、全体像を歪ませてないか - 多角的な視点:同じ事象について、異なる視点からの情報も収集し、比較検討する
- 広告主や一部の利益団体の利益を誘導する報道でないか、隠れた意図が潜んでないか

「知的体幹」の強化
客観的、論理的、合理的に考えるためにはどうすればいいのでしょうか?
自分自身の価値判断基準を持つためのアプローチ
情報過多の現代社会においては、自分自身の価値判断基準を持つことがより重要です。
それには、上述の情報への適切な判断のための心構えと、広い知見や多面的な視野を養う努力が求められますね。
- 批判的思考の養成
情報源の検証、根拠の確認、論理の検証、偏りの有無、多角的な視点での確認 - ファクトチェックの習慣化
情報の真偽確認、デマ拡散防止、事実確認ツール活用など - 背景知識を広げる
幅広い知識の習得、歴史的背景の理解、専門知識の習得で専門知識を深め、より高度な情報分析を目指す - 自己学習・研鑽の継続
読書、議論、オンライン学習
その上で、論理的な思考ができるための認知概念の理解や、認知バイアスへの理解も求められます。
自分自身の認知バイアスへの対策
みなさんは、自分自身が内集団バイアスや確証バイアスなどにより、客観的な視点を見失いがちであることの自覚はあるでしょうか。多分、日常であまりそんなことを考える機会はないのではないでしょうか。
実は、人は200を超える認知バイアス(客観的な視点を見失い、本人の自覚がないままに偏った考え方に誘導される思考のクセや思考のゆがみ)により、早い判断と引き換えに正確さを失うことがあります。

そして、情報過多な現代社会においては、この傾向が顕著だとも言われています。
客観的に正しい判断のためには、自らの思考のクセ(強く作用する認知バイアス)を知り、広い視野で観察し、論理的に考える癖をつけ、真偽の確認を怠らないことです。
認知バイアスに対する注意すべきポイントをまとめると、以下のような視点での意識が重要です。
- 批判的な受け止め:情報を鵜呑みにせず、常に疑問を持ち、根拠を求める姿勢が大切です。
- 客観的な判断:主観的な意見や感情に左右されず、事実を基に判断する必要があります。
- 偏った視点の回避:特定の視点に固執せず、多角的な視点から物事を捉えることが重要です。
- 論理的整合性:情報の論理的な整合性を確認することで、非論理的な飛躍や矛盾を見つけることができます。
- 非感情的判断:感情的な判断は、客観性を失う原因となります。感情をコントロールし、冷静に判断することが大切です。
- 根拠に基づく思考:すべての判断は、具体的な根拠に基づいているべきです。
上記の注意点は、実は様々な認知バイアスの作用によりもたらされるものです。自分の思考のクセを知る上では、どのような認知バイアスがあり、それらが自分の思考にどのように影響しているのかを知ることをお勧めします。
注意すべき認知バイアスに基づく影響ついて簡単にご紹介しておきます。
- 内集団バイアス:自分の所属するグループに対する好意的な感情と、外部に対し排除する姿勢
- 確証バイアス:自分の既存の信念や仮説を支持する都合の良い情報だけを選択的に集めること
- グループ思考:集団の中で自分の意見を控え、多数意見に同調してしまうことを避ける
- アンカリング効果:最初に得た情報に過度に影響されてしまうことを避ける
- ハロー効果:ある人物の一つの特徴から、他の特徴も同様に良いと判断してしまうことを避ける
- 悪魔の代弁者:自分とは異なる意見を積極的に考え、その意見の根拠を検討する
認知バイアスについては、「別記事」にて詳しくご説明していますので、興味がある方は是非ご参照ください。
自分の思考を理解するためには、「認知科学」的な取り組みも有効
みなさんは「なんでこんな簡単なことを間違えたんだろう?」って思ったことはありませんか。
どうして自分がそう思ったのか、そう考えたのか、の理由を考えて自分の思考を理解するために、認知科学という考え方があります。
認知科学というのは、簡単に言うと「人の心の働きを科学的に調べる学問」ということができます。
自分自身を深く理解するための重要なアプローチと言えるのです。

認知科学により得られるメリット
- 自分のことをより深く知れます
・なぜいつも同じような間違いをするのか、なぜ特定のタイプの人を好むのかなどがわかる
・自分はなにが得意で、ないが苦手なのか、客観的に見れるようになります
・自分の思考のクセを知り、それをコントロールできるようになるかも - 周りの人のこともより深く理解できます
・友達や家族がどうしてそう考えるのかを理解できるようになります
・相手の気持ちを考えて、より円滑なコミュニケーションが可能になります - 自分の業務や学習ががはかどります
・効率的に自分に合ったやり方、勉強法を見つけられます
・問題にぶつかったときに、冷静に分析して解決策を見つけられます - 応用力が身に付きます
・自分のことをよく理解することで、新たな取り組みがスムーズにできます
・知的好奇心が刺激されて、新しいことへのチャレンジが楽しくなるかも
認知科学的な理解を深めることは、ゲームキャラの経験値を上げて強化するように、自分の知的な能力を強化するようなものなのです。
人の認知科学を応用して、現在のAIは進化している
私たちの思考は、スキーマやメタファーといった認知的な枠組みによって構成されていることはご存知でしょうか。
近年、AI開発において、これらの認知科学的な概念が積極的に活用され、AIは人間のような柔軟な思考を身につけるようになってきました。
例えば、自然言語処理では、言葉の意味を理解するために知識グラフと呼ばれる、概念間の関係性を表すネットワークが構築されています。これは、人間の脳が知識を組織化する仕組みであるスキーマを模倣したものです。
人の認知科学の有効性は、このようにAIの進化を通じて証明されている面もあるのです。
私たち自身も、自分の思考を客観的に見つめ、どのような認知的な枠組みで物事を捉えているのかを理解することで、より客観的で論理的な思考を身につけることができると言われています。
認知科学を通して自分の思考を考えるということについても、さらに「別記事」でご紹介しています。自らの論理的な思考で判断する上でのご参考に、良かったら一度覗いてみていただけると幸いです。
まとめ
今回の件において、特に目立ったのは、様々な視点で存在する「多面的な事実を並べ、整理して論ずる」のではなく、情報のある一面だけをセンセーショナルに取りあげ、ことさら執拗に、しかも一般視聴者と変わらないようなコメンテイターの発言を「是」として論理構成するようなワイドショーの進行など、目に余る暴挙が数多く見受けられました。
流石に、よほどおめでたい人でない限り、何かおかしいと感じるだけの出来事だったのではないでしょうか。
信用に足る情報かどうかを見極めるのは簡単ではありません。
何故なら、メディアはバレないように巧みに誘導してくるからです。テレビもSNSも同じです。
溢れる情報を安易に信用せず、尚のこと、与えられる情報はまず疑う姿勢が問われている時代です。
信用できる情報を得る努力、そしてそれを見極めるための深い理解と判断力こそが、この時代に最も求められる能力です。
与えられた情報を安易に信じず、まず「疑ってみる」「深く考えてみる」ことから始めてみませんか。それが、あなた自身の思考を強化し、不確かな情報に惑わされないための第一歩となります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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