五月晴れの爽やかな気候の中、シニア5人でめぐる「なぎさ海道ウォーク」に出かけてきました。
出発点の住吉大社の駅前は立派な古木の新緑が青空に映えて、感動的な爽やかさの中でのスタートとなりました。
今では町中に位置する住吉高燈籠「常夜灯」の歴史的な意味、延べ17kmの工程の中で水上約50mの橋から望む壮大な大阪の街並みと、そして実際に歩くことでしか味わえない橋梁の壮大なスケール感をご紹介します。
過ごしやすい季節がお勧めですが、歴史と絶景が織りなすこの地を訪れてみてはいかがでしょうか。
当日のルート概要と見どころご紹介
コースの概要と、見どころのダイジェスト
今回のコースは、過去のウォーキングプランを参考にさせていただきました。

今回のなぎさ海道「木津川・尻無川・安治川横断」ウォークの見どころはは、出発点の住吉公園と、新木津川大橋、なみはや大橋、築港赤レンガ倉庫、海遊館、天保山、天保山渡船などたくさんあります。
ルートの総延長が17kmほどありますので、見どころ間のアプローチ、及び、橋梁歩きで結構じんわりと体力的にやられます。特に春先を過ぎて、夏場の炎天下ではあまりお勧めできないかもしれませんが、感動レベルの眺望もあり、歴史的な触れ合いも楽しめるお勧めルートです。
出発地点の駅前の住吉公園の木立にも感動
住吉大社駅を出てすぐに西に向かいますが、足元のモネフィラと公園内の古木の新緑が青空に映えます。

公園東側の住吉高燈籠(常夜灯)の手前には、ルピナスも満開でした。

今回は駅前の公園の北側の端の方しか歩いていませんが、見飽きないくらいのお気に入りの景色が続きます。

実は住吉大社駅は初めての訪問でしたが、今度訪れる時(もしあれば)は、もっとあちこち歩きたくなる場所ですね。

住吉公園と住吉大社、「常夜灯」が物語る「埋め立て」の歴史

住吉大社の常夜灯がこの地にあった意味とは
住吉大神は海の神、航海の守護神として古くから篤い信仰を集めており、かつては住吉大社の境内近くまで海が広がっており、白砂青松の美しい海岸線であったと伝えられています。
元々は住吉大社に奉納された常夜灯ですが、江戸時代になると、大阪湾に出入りする船のための航路標識(灯台)としての役割も担うようになり、我が国最初の燈台『住吉の高燈籠』と言われたそうです。
今回歩いたルートでは、海までの結構な距離が埋め立てられていましたが、昔は、この常夜灯の場所は海の畔だったのですね。

現在では埋め立てなどにより海岸線は後退していますが、私たちが目にする「常夜灯」がその名残りを今に伝えていると思うと感慨深いものがあります。
住吉大社はなぜ海の神といわれるのか
住吉大社の主祭神である住吉大神は、伊邪那岐命(イザナギノミコト)の禊祓(みそぎはらえ)の際に海中から出現したと伝わります。神功皇后の新羅遠征帰還の神託により、現在の地に鎮斎されたのが創建の由来とされています。
古代には住吉津が海外交流の拠点となり、航海の安全を祈る人々が多く参拝しました。
海の神様であること、そして古代の交通の要であったことが、住吉大社が海沿いに鎮座する理由ということは、今回の散策を機に初めて知りました。これまでの不勉強を少しは改めようと思った次第です。
この地域の埋め立ての歴史は江戸時代にまでさかのぼる
かつて白砂青松の海岸線が広がっていた住吉の風景は、江戸時代以降の埋め立てによって大きく変化したそうです。
江戸時代の埋め立ての目的と規模
大阪湾全体の本格的な埋め立ては江戸時代以降で、宝永元年(1704年)頃から新田開発が急速に進み、海岸線を大きく変えるほどの埋め立てが進んだとされており、住吉の浜も埋め立てられていきました。
しかし、江戸時代の埋め立ては、主に新田開発を目的としたものだったので、その範囲は段階的であり、現代の大規模な臨海部埋め立てと比較すると、局地的なものだったと言われています。
当時の埋め立てにおいては、大阪市内にもかつて存在した小高い丘などを削り、土砂として利用した可能性や、大和川などの河川から運ばれた土砂を利用し、その運搬には牛車や人力、水上では船が利用されたと考えられているそうです。
明治、戦後の大規模な埋め立ての歴史
その後も、明治時代以降の工業化の進展や港湾整備の必要性から、さらに広範囲の埋め立てが行われました。
更に戦後の高度経済成長期には、臨海部の工業地帯や住宅地の造成を目的とした大規模な埋め立てが進行し、大阪湾の海岸線は大きく変化しました。南港(ポートタウン)などの大規模な埋立地はこの時期に造成されました。
かつては白砂青松の海岸線が広がっていた常夜灯は、今では海から5kmほども内陸に位置しています。
なぎさ海道の絶景ポイント:「新木津川大橋」と「なみはや大橋」
大阪港湾地域の埋め立てによって新しく生まれたエリア間のアクセスを向上させ、物流をスムーズにするという重要な役割を担って、二つの橋が建設されました。
新木津川大橋
新木津川大橋は、大阪市南西部の臨海地区において、環状道路網を形成し、物流の円滑化と周辺道路の交通緩和を図るために建設され、1994年に竣工しました。

新木津川大橋橋の中央部の長さは約495mですが、大正区側には3重のループ状のアプローチがあるため、歩道を全て歩いた場合の距離は約1kmになるようです。
橋の最高地点は水面から約50mで、海側から東方向に大阪が一望できます。
これほどのスパンの橋脚だともっと揺れそうな印象がありますが、歩いている時に体感するような揺れはほぼ感じませんでした。
調べてみると、頑丈な構造、共振を避けるための設計、そして必要に応じた減衰装置の設置といった、高度な橋梁技術の賜物のようで、通常の使用においてはその安定性を実感できる設計になっているそうです。橋梁は箱桁(ボックスガーダー)と呼ばれる、断面が箱型の構造を持つ桁橋で、ねじれに強く、安定性に優れているそうです。

なみはや大橋
なみはや大橋は大正区と港区を尻無川河口部で結び、港湾地域の道路網を整備するために建設され、1995年に竣工しました。

橋全体の長さは約1.74kmで、歩道もこの全長に沿って設置されていて、橋の中央部の高さは水面から約45mです。

この橋も、歩行時に揺れを感じることは、私の記憶の範囲ではありませんでした。
築港赤レンガ倉庫
築港赤レンガ倉庫は明治時代に建てられた風格ある赤レンガ倉庫群で、一歩足を踏み入れるとタイムスリップしたような感覚を味わえます。重厚なレンガ造りの建物が醸し出すノスタルジックな雰囲気は、写真映えが抜群です。

展示されたクラシックカーは、歴史あるレンガとのコントラストでこの日の青空に、メッチャ映えていました。
ここにはカフェやレストランも併設されており、重厚な雰囲気の中で本格的なステーキを味わえるレストランもあるようです。私たちはリュックを背負って場違いな集団と化してました。
ここでは時々、アート展示やマルシェ、音楽イベントなども開催されているそうですので、訪れる時には事前に情報をチェックしておくと良さそうですね。
海遊館を通り抜けて天保山でようやく昼食
海遊館に隣接した天保山客船ターミナルには、偶然にも豪華客船のセブンシーズが停泊しており、間近で見るとその規模の大きさに改めて感心するばかりです。

海遊館では、セブンシーズ・マリナーの雄姿を見るだけで素通りですが、遠くにサンタマリア号も見ることができました。

低すぎてどこにあるのかわからない天保山
天保山への訪問は、ほぼ全員が始めてで、あまりの存在感の無さに、見つけるのに周囲を2周ほど探しまわるほどでした。

山としての存在に対しては歴史的な議論もあり、一度は地図上から消された時期もあるそうですが、1996年に地元の復活運動により、再び山として認定されたそうですね。

初めて見る天保山は低すぎて、山というよりただの川の畔の土手の一部の印象です(関係者様に陳謝)。
天保山に二等三角点がある理由
そんなほぼ土手レベルの人口の丘の二等三角点には、次のような歴史があるそうです。
- 江戸時代:天保山は1831年(天保2年)に安治川の浚渫工事によって、当初は「目印山」として築かれ、後に築かれた時の元号から「天保山」と命名されたと言われています
- 幕末:1854年(安政元年)、ロシア帝国の軍艦ディアナ号が大阪沖に現れた際、大坂城代が防衛のために天保山に砲台を築造しました
- 明治時代:砲台の影響で山の標高は削られ、明治時代の高さは7.2mほどになり、明治44年(1911年)二等三角点が天保山に設置されました
- 現代:天保山は地盤沈下の影響で標高が低下し、1971年には7.1m、1977年には4.7m、1993年以降は4.53mとなりました(経過の数値には諸説あり)
尚、2014年の調査で宮城県仙台市の日和山が3mと認定され、日本一低い山の座を譲ることになったそうです。
天保山渡船の楽しみ
今回のルートに含まれる天保山渡船は、大阪市港区の安治川河口付近に位置する天保山と対岸の桜島を約5分で結ぶ、歴史ある渡し船です。
明治時代以降、この地に工場や倉庫などが建設され、対岸の桜島との間の交通手段として、自然発生的に渡し船が利用されるようになりました。
天保山渡船は、地域の住民や工場で働く人々の重要な交通手段を確保するため、1907年(明治40年)に大阪市が公営の渡船として正式に開設し、無料で利用できます。
現在では、地域住民の生活交通に加え、天保山ハーバービレッジ(海遊館など)やユニバーサル・スタジオ・ジャパン(桜島側)を訪れる観光客にも利用されるなど、観光的な要素も強くなっています。

当日は、外国人の自転車利用者が慣れた様子で出航間際に続々到着していました。
桜島を経由してUSJを横目に、ゴールの西九条で『お清めの会』
桜島までくると、大阪万博のムードが最高潮です。

更に、USJの周辺のホテル・マンション群を眺めながら、ゴールを目指しますが、安治川口駅から打ち上げ会場の西九条までは、多数決で電車利用となりました。

この日も、西九条駅周辺で、最大の目的の反省会を無事に決行し大満足の締めとなりました。
まとめ
今回も、お天気に恵まれ、又新緑の清々しい気候の中、思いもよらぬ絶景を堪能する散策ができて満足な一日となりました。
なぎさ海道の南海・阪神エリアは、天気が良いと日影が少ないことは難点ですが、視界が良い日には爽やかな絶景が楽しめます。
このエリアに馴染みがない方には、一度は行ってみる価値があるコースだと感じました。
この記事を見て、興味がわいたら、是非一度訪ねてみてはいかがでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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